複眼の映像

『複眼の映像』
橋本忍 著
2006年 文藝春秋

黒澤明と一緒に『羅生門』『生きる』『七人の侍』 などを書き上げたシナリオライター、橋本忍の本。
古臭くて説教くさい本だと勝手に敬遠してきたのだけど、読んでみたら、いやあ、面白かった!!!

昨今の一般的なシナリオの本は、「テクニック」を羅列していることが多い。
しかし本書では、<書く過程>を丁寧に追っていく。
成功例だけでなく、失敗作(興行的)についても同様に触れている。

特に、タイトルにもなっている、共同で脚本を書く(複眼)、という仕事のやり方についての解説が面白い。

もちろん、時代背景や立場によって真似できる・できないもあるでしょう。
しかし、得るものはたくさんあります。

面白いと思った箇所を抜粋します。

・シナリオライターを目指したが、小説家に方向転換して有名になった人はいる。
しかし、小説家からシナリオライターになった例は無い。
これは小説は読み物、シナリオは設計書、という全く性質の異なる別々の生き物であるため。

・一二テーマ、二にストーリー、三に人物設定。
これが、シナリオを書き始める前に必要な事。
これを愚直に積み上げていく。

・シナリオには起承転結がある。起は始まり、承は展開、転は最高潮、結は終わり。
しかし用語が古いので、私たちは、スタート、展開、クライマックス、ラストと呼んだ。
シナリオの構成には、書くことのできぬ四つの段階がある。
これらを4つの箱に分けて「四つ箱、大箱」と呼ぶ。「大箱はどうした」「大箱はどうなってる」などと使った。

・黒澤さんは大学ノートを取り出した。勘兵衛の人物像が書き込んである。背の高さに始まり、草履の履き方、歩き方、他人との応答の仕方、背後から声をかけられた時の振り返り方、ありとあらゆるシチュエーションに対応する立ち居振る舞いが、所々絵を交えて延々と続いている。
私はガーンと棍棒で殴られた感じだった。
シナリオを書く場合、誰でもテーマとかストーリーはそれなりに作るが、面倒臭くて手が抜けるのが人物設定、人物の掘りである。それらをすっ飛ばし、本文の書きに入ってしまう。人物が動き出せば、人間性などは自然に成立するから、二度手間のような気さえする。
でもそれは違う。
人間は恐ろしいほど数多い共通点を持ちながら、一人一人に特質があって違うのだ。だからドラマが成立する。人物を掘り込み、特質を書き込んでこそ、俳優さんの演技にも工夫と努力が生まれる。
シナリオの出来上がりの善し悪しは、面倒でひどくおっくうでつい誰もが手抜きになってしまう、人物の掘りにあると言っても過言では無いのだ。

・黒澤明にはシナリオについての哲学がある。
「仕事は一日も休んではいけない」
彼に言わせれば、シナリオを書く作業はマラソン競走に似ているという。頭を上げてはいけない。目線はやや伏せ目で、前方の一点を見つけ黙々と走る。ただひたすら走り続けていればやがてはゴールに到達する。
黒澤組の1日の仕事量は平均でペラ15枚。朝の10時から午後5時まで7時間。だから三週間籠もれば、実働二十日間で、一本300枚程度の脚本が仕上がる。
休めば逆に体が疲れる。稽古事には一日も体を休ませてはいけないのだ。

・黒澤組の共同脚本とは、同一シーンを複数の人間がそれぞれの眼(複眼)で書き、それらを編集し、混声合唱の質感の脚本を作り上げる。それが黒澤作品の最大の特質なのである。
映画の世界では共同脚本の例は数多い。しかしそれらは誰かの書いたホンに、プロデューサーや監督が修正を希望し、脚本がが応じないため、他のライターを起用して手を入れる、みたいなことが多い。
しかし、黒澤組のように、同一シーンを書き揃え、それらの取捨選択から、隙間や弱みのない、充実した分厚い、新鮮な脚本を作るなど、他に例がない。

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「共同脚本(複眼)が完璧である」などとは書いていません。
黒澤明という、人を見抜く目を持った強いまとめ役がいてからこそ。
著者ならではの、共同脚本についての分析本である、とも思いました。

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